Cross Talkクロストーク
スポーツの力で地域を巻き込み、未来の安心をつなぐ
▲(左から) 株式会社ベガルタ仙台/代表取締役社長 板橋 秀樹さん クラブコーディネーター 梁 勇基さん 株式会社仙台89ERS/代表取締役社長 志村 雄彦さん
「ベガルタ仙台」は、泉区のユアテックスタジアム仙台を本拠地とするプロサッカーチームであり、東日本大震災直後からサッカーを通じて、被災地へ笑顔を届ける活動や防災啓発などを続けています。
一方、「仙台89ERS」は、太白区のゼビオアリーナ仙台を本拠地とするプロバスケットボールチームであり、東日本大震災による活動休止を乗り越えた経験を原動力に、バスケットボールを通じて、防災啓発など、地域に根差した取り組みを推進しています。
今回は、株式会社ベガルタ仙台 代表取締役社長・板橋秀樹さんと、2023年までプロサッカー選手として活躍し、現在はクラブコーディネーターである梁勇基さん、2018年までプロバスケットボール選手として活躍し、現在は株式会社仙台89ERS 代表取締役社長を務める志村雄彦さんのクロストークを行いました。
今につながる震災の経験
プロフィールを教えてください。
板橋
「ベガルタ仙台」は2025-26シーズンでクラブ開設から32年目を迎えます。1993年にJリーグがスタートし、市民や県民からの「東北にプロサッカーチームを」という声のもと、クラブが設立されました。東日本大震災や新型コロナウイルス感染症の蔓延の影響による経営上の困難もありましたが、地域の皆様に支えられ、現在は、観戦者数もコロナ禍前の水準を上回るまで増えています。
私は、仙台市役所などの公的機関で勤務し、まちづくりや財政、経済対策など、幅広く経験し、2023年に代表取締役社長に就任しました。我々は地域の公共財の一つであり、その役割は行政との関連性が非常に高く、これまでの業務の知識や経験を活かしています。
梁 私は2004年にベガルタ仙台に入団し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせました 。2023年シーズンをもって引退し、現在はベガルタ仙台のクラブコーディネーターという役職に就いています。主な役割は、地域のイベント参加やメディア出演を通じて、クラブと地域をつなぐ「橋渡し役」として活動することです。
志村
「仙台89ERS」は2005年にスタートし、2025-26のシーズンで21回目のシーズンを迎えます。バスケットボール界は実業団中心からプロリーグへと変遷し、我々もbjリーグからB.LEAGUEに参入し、2026-27シーズンからはさらにリーグ構造が変わり、新設されるB.LEAGUE PREMIER(以下、Bプレミア)への参入を目指しています。クラブの歩みの中で最も大きな出来事はやはり東日本大震災でした。当時はシーズン途中で活動休止という困難にも直面しましたが、地域の皆様の多大なご支援のおかげで復活することができました。現在は、Bプレミアでの優勝を中期的な目標に掲げています。
私は仙台出身ということもあり、2008-09シーズンから約10年間、仙台89ERSの選手としてプレーし、その後、チームの運営側に入り現職に就き、「バスケットボールを通じて、豊かな社会作り・元気な仙台の街づくりに貢献する」ことを経営理念に活動しています。
東日本大震災当時の経験が、ご自身やチームに与えた影響について教えてください。
梁 東日本大震災は私自身、本当に「生きるか死ぬか」という恐怖を味わった瞬間でした。当たり前の日常がすべて奪われ、普段のありがたみを痛感し、震災後は感謝して生活するように意識が変わりました。当時は現役のサッカー選手としてプレーする中で、「こんな状況でサッカーをしていていいのか」という葛藤もありましたが、リーグ再開後の初戦の川崎フロンターレ戦で考えが変わりました。サポーターのみなさんは大変な思いをされて、生活も十分に整っていない中だったはずなのに、それでも我々を応援しに駆けつけてくれて逆転勝ちすることができたんです。サポーターの喜ぶ顔を見た時に、自分たちはサッカーでこれほどまでにパワーを与えられるんだと確信しました。誰かのため、何かのために発揮する力の凄まじさを経験したことが、その後のJ1リーグ準優勝、初のアジアサッカー連盟(AFC)チャンピオンリーグ(ACL)の出場権獲得といったクラブの躍進にもつながったと思います。
板橋
震災当時、私は仙台市役所に勤めておりました。仙台市では避難所が数多く開設されていましたが、停電で真っ暗な体育館にひしめき合う人々の不安や心理的ストレスは相当なものでした。
そんな中、梁さんも話した通り、選手やスタッフも、この悲惨な状況下で「本当にサッカーをしていていいのか」と強く逡巡したと聞いています。彼らはその葛藤の中で瓦礫撤去などのボランティアを始めましたが、そのうちに「元気のないこどもたちにサッカーを教えてもらえないか」という声が保護者の方々から出たそうです。実際に体育館でミニゲームなどを行うと、それまで下を向いていたこどもたちの表情が明るくなり、笑い声が上がりました。その姿を見て、親御さんや周りの大人たちも救われたと言います。この苦しむ人達に前向きな気持ちをつくれるという経験は、我々にとって非常に大きな財産であり、こういったことが未来に向けての使命の一つなのだと改めて実感させられるエピソードです。
志村
震災直後、まず生活することが第一の状況下では、スポーツは「なくてもいいもの」だと私自身も思っていました。ですが、私も避難生活が長期化し、心のケアが求められるようになる中で、スポーツが持つ力の重要性を強く感じるようになったんです。当時、私は活動休止となったチームを離れ、期限付きで沖縄のチームに移籍し89番を背負ってプレーを続けました。避難所を訪問した時に「バスケ頑張ってください」と声を掛けていただいたことは、私自身が震災を乗り越えるための大きな力になりました。
それまでは自分のためにバスケットボールをしてきましたが、震災によって昨日までいた人がいなくなるという命の重みを知り、「この街のため、誰かのために力になること」に人生の価値を見出すようになりました。あの瞬間に感じたことを原動力に、今は経営というポジションで、より多くの人と喜びを分かち合いたいと思っています。
震災の教訓を、「スポーツ」の力で社会に根付かせる
現在、取り組んでいる防災や復興などの活動について教えてください。
板橋
防災とサッカーを結びつけた「防災サッカー教室」で人材育成を行っています。非日常の困難に対処するには、普段からそれらを身近に感じる環境づくりが大切で、チームスポーツであるサッカーで、いざという時に協力して対処するということを体感してもらう目的です。
また、震災の経験を継承するため、新しい年度に向けてチームが新体制になった時に、必ず被災地を訪問し、鎮魂の活動を行っています。選手たちが被災地のチームとして先輩方が経験したことがチームの志や使命につながっているということを、それぞれが自分の頭で考えるための活動です。
近年ではSDGsの一環で、環境面でも取り組んでおり、リサイクルの促進やビーチクリーンなどに加え、独自に「ケミ・リサSENDAI」を始めました。これは、スタジアムで食品トレイや飲料カップなどのプラスチック容器を分子レベルに戻して再生成するケミカル・リサイクルの社会実装を目指すプロジェクトです。我々のスタジアムでのファンとの間で築いてきた親密な関係を最大限に活用して、科学的根拠に基づく新しいケミカル・リサイクルのモデルを全国に発信していきたいと考えています。このプロジェクトは、「令和7年度みやぎゼロカーボンアワード」において優秀賞を受賞しており、仙台89ERSさんにも参画いただいています。
こうした取り組みの背景には、ベガルタ仙台が掲げる「ローカル・ゼブラ企業」という考え方があります。これは、地域・住民・クラブがともに地域課題を解決することを目指すもので、ベガルタ仙台では他の企業や団体とも連携し、活動を通じて収益を確保しながら、新しく、持続可能な地域貢献に取り組んでいます。
梁
私は実際に「防災サッカー教室」に参加しています。これは親子で参加してもらうサッカー教室なんですが、そこで感じるのは、こどもたちが学校で「おはしも」を本当によく学んでいるということです。「おはしも」は「押(お)さない、走(はし)らない、しゃべらない、戻(もど)らない」を伝えるものですが、実は、私たち大人のほうが意外と知らないんですよね。教室に参加された親子にアンケートをとっても、保護者は知らない方が多い。私自身もこの教室を通じて学びましたが、特に「も(戻らない)」が重要で、東日本大震災で一度避難したのに戻ってしまったことで津波の犠牲になったという教訓を、今のこどもたちにしっかり伝えています。
教室では、手をつないで「走らないサッカー」をします。あえて走らないことで、楽しみながら「おはしも」を体感してもらう。こどもたちの知識に大人が驚かされたり、教えられたりする場面もあり、サッカーを通じて親子で改めて災害への備えを考える良い機会になっていると感じます。
志村
「仙台89ERS」では「ディフェンス・アクション(防災バスケ)」という、避難訓練とバスケットボールを組み合わせたプログラムを学校やクラブのコートで実施しています。これは、ドリブルやシュートをしながら、地震と言われたら「かがむ」、それが津波だったら「高台へ行く」といった動作を遊びの中で繰り返すものです。私がこどもの頃の避難訓練は正直、あまり面白いものではありませんでしたが、こどもたちは楽しみながら学んだ方が吸収してくれます。こうした楽しみながら備える経験が、パニック時にも動ける力につながると信じています。
また、震災当時クラブにいたメンバーは私を含め2人ほどになりました。だからこそ、クラブが一度潰れてしまった過去やこの街で多くの命が失われた重みを、今の選手やスタッフに伝え、つないでいく必要がある、そういった機会を設けています。
なぜ仙台がこれほど強く復活できたのか。そこには人の温かさや地域の輪がありました。私たちはその想いをつなぐため、震災から10年の節目に「NINERS HOOP」という活動を立ち上げました。防災教育にとどまらず、街の公園にバスケットゴールを設置したり、こどもたちにボールを寄贈したり、こどもたちが安全にスポーツを楽しめる環境を整え、この街にスポーツがある喜びを次世代へつなぐための活動を加速させています。
防災や復興などの活動において、「スポーツ」だからこそできることは何でしょうか。
板橋
スポーツは、心に直接関わります。情報の入手経路が多様化し、価値観を一つに束ねるのが難しい現代において、みなさんがどうやって同じ方向を向いていけるかは非常に難しい問題です。
そういう中でスポーツは、勝敗という結果や、そこに向かうプロセスが非常に分かりやすいものです。だからこそ、みなさんがどこに進んでいいか分からない時に、我々が「こっちに進もう」と一つの灯を掲げる。そうやって分かりやすい道筋を示すことが、スポーツだからこそ果たせる大きな役割の一つではないかと思っています。
その際に大事なのは、スポーツの持つ力を、お客様を含めた地域がより良くなっていくために使うことです。それが巡り巡って我々の会社の成長にもつながる、そういう視点で取り組むことが大事だと思っています。
梁
私も、やはり人の心を動かせることがスポーツの力だと思います。勝利という結果で喜んでもらえることもあれば、負けて悔しかったり、時には腹立たしくなったりする場面もあると思いますが、そういった喜怒哀楽も含めて、観戦している人たちの心を動かせることが最大の魅力です。
また、競技者の立場から言えば、勝利の瞬間の喜びを分かち合えることこそがやりがいであり、スポーツの素晴らしさだと感じています。
震災の時もそうでしたが、日々の生活の中にはどうしても辛いことがあると思います。でも、試合会場に来ている90分間だけでも、そのモヤモヤを忘れられるような時間にしてもらいたい。個人的には、そういうスポーツが持つ力を通じて、スポーツがみなさんの日常の一部になってくれれば、これほど嬉しいことはありません。
志村
スポーツというのは、性別や年齢に関係なく、非常に裾野が広く楽しめるものです。トッププレーヤーという極めて分かりやすい存在を通じて、地域の課題や歴史を日本中、そして世界中へ発信していける強い影響力を持っています。
何より、多くの人が一つになれる瞬間をつくれるのがスポーツの素晴らしさです。勝っても負けてもそこにドラマがあり、感情が生まれる。試合会場という一つの空間でその一瞬を分かち合う体験は、他ではなかなか得られないものです。
また、地域への愛着が感じられるのもスポーツだと思っています。私のような仙台出身者はもちろん、外から来た方も、対戦チームが目の前にいれば、その瞬間はもう「仙台の人」になれる。スポーツを通じて、仙台という街を好きになり、誇りに思ってもらえる。そうした一人ひとりのアクションを世界へ発信できる力を持っていると信じています。
2026年は震災から15年になります。今後の展望について教えてください。
板橋
防災や環境への取り組みというのは、なかなか社会全体に広がりにくいものと感じています。活動している誰もが「大事なことなのに、なかなか知ってもらえない、広がっていかない」という壁を共通して感じているはずです。
ではどうするか。私は、我々がエンターテインメントの世界で培ってきた「お客様にどう楽しんでもらうか」という哲学を、こうした社会課題にこそ適用すべきだと思っています。我々が大事にしていることは、「難しいことを優しく、優しいことを面白く、面白いことを深く」というコンセプトです。社会に根付かせることが難しいテーマであっても、ひとつひとつ、お客様が受け入れやすい形に転換して届けていく。防災や環境というテーマについては、こういった新しいアプローチでこれからも事業を継続的に進めていきたいと思っています。
梁 クラブが行っている「防災サッカー教室」や「ケミ・リサSENDAI」は、まだ始めたばかりの取り組みなので、まずはこれを継続させることが重要です。その中で新しいアイデアが出てくると思うので、試行錯誤しながらより良いものを見つけていければと思います。
志村
まず、今取り組んでいる活動を継続することは、ただ「やっています」というアピールだけで終わらせず、もう一歩先へ進めなければならないと感じています。そのためには人材の育成が不可欠です。震災を知らない世代や街にも、我々がスポーツを通じて得た教訓をつないでいく仕組みをつくっていかなければなりません。
また、クラブ運営においては人口減少の中で「スポーツをする人、支える人」をどう守っていくかという危機感もあります。競技人口が減り、チームが組めないといった問題が起きる中で、自治体や他クラブと手を取り合い、持続可能な環境をつくっていくことが重要です。
そして、最近改めて痛感しているのは、スポーツにとって「勝つ」ということは極めて重要だということです。ベガルタ仙台さんが震災後の初戦で勝ったことのように、結果が出て初めてクラブの歴史が紐解かれ、震災からの歩みが全国的にクローズアップされます。例えば、在仙の複数クラブが同時に優勝して街全体が熱狂する。その瞬間に震災の話を発信できれば、これ以上の力はありません。3月11日という節目だけでなく、日常の中でその教訓を伝えていくためにも、強いチームを作り、勝ち続けることは我々の大きな使命だと思っています。
お互いの活動を知り、今後一緒にやってみたいことはありますか?
板橋 仙台89ERSさんとは地域との関わりについて同じ目線を持っていると感じています。仙台には多くのプロスポーツチームがありますが、地域との関わりにおいて、この環境を活かさない手はありません。これまでのトークイベントのような場も大切ですが、今後はさらに一歩踏み込み、具体的なアクションへと再構築していくことが重要です。例えば、他のプロスポーツチームにも声をかけて在仙でさらに盛り上げたり、このモデルを全国へ広めて具体的に貢献したりといったことも考えられる。現在、仙台89ERSさんと取り組んでいる「ケミ・リサSENDAI」のように、仙台から日本全体へ、防災に関する情報を広げていけるのではないかと思っています。
梁 仙台89ERSさんとはこれまで合同でのイベントがあまりなかったので、両クラブが合同で防災イベントを開催するなど、小さなことからでも形にしていきたい。そうすることで、今までとは違う層の方々にも興味を持ってもらえたり、楽しんで足を運んでもらえたりするはずです。そういう新しい場をこれからつくっていけたら面白いなと思っています。
志村 一緒にやりたいことはたくさんありますね。2027年からバスケットボールのシーズンが変わり、ベガルタ仙台さんと同時期にシーズンを過ごすことになるので、その間のイベントなどでは限られたファンを奪い合うのではなく、共存することが重要です。例えば、地下鉄を利用してお互いのファンが行き来したり交流したりする取り組みを通して、お互いのファン層の拡大につなげる。また、防災に関しては、それぞれの持っているコンテンツを相互に活用しながら、地域のこどもたちに提供していくことも考えられますよね。せっかくの強みをしっかり合体させて、より価値のある活動にしていきたいと思っています。
今回のクロストークの感想を教えてください。
板橋 様々な活動団体の事例を知ることは大事ですが、それだけで課題解決が具体化するのは難しいのが現実です。社会全体を動かすには、その地域で暮らす人々のために、我々のような志を持つ団体が強みを持ち寄り、連携していくことが必要です。お互いが共通の目的を持つためにコミュニケーションを取って、一緒に具体的な行動へとつなげていく。今回のクロストークもきっかけの一つとして、よりパワフルな活動につなげていきます。
梁 今日はいろいろなお話を聞かせていただき、自分自身の頭の中を整理する良い機会になりました。大きいことを成し遂げるのは難しいかもしれませんが、自分たちができることをコツコツと積み上げながら、スポーツを通じて仙台が盛り上がっていく。そんな未来が今から楽しみです。私個人として、そしてクラブとして、何ができるのか改めて考えていきたいと思いました。
志村 ベガルタ仙台さんとはこれまでも交流がありましたが、防災などの活動においてもさらに身のあるものにしていかなければならないと改めて思いました。震災の教訓を活かすことは、この街のプロスポーツクラブである我々にしかできないことです。普段の生活では忘れてしまいがちですが、今日のような機会を大切に、向き合っていきたいです。

株式会社ベガルタ仙台
