【音楽×映画×小説】表現者たちと考える震災伝承
熊谷 育美×佐藤 そのみ×根本 聡一郎
▲(左から)シンガーソングライター/熊谷 育美さん 映画監督/佐藤 そのみさん 作家/根本 聡一郎さん
仙台市では、2015年の国連防災世界会議で採択された国際的な防災指針「仙台防災枠組2015–2030」について学ぶ「仙台防災枠組講座」を毎年開催しています。2025年12月6日に開催した講座のテーマは「仙台防災枠組と文化芸術との繋がり-災害文化を考える-」でした。その中で、モリノカレッジ連携企画として、シンガーソングライターの熊谷育美さん、映画監督の佐藤そのみさん、小説家・脚本家の根本聡一郎さんをゲストに迎え、クロストークを実施しました。
音楽・映画・小説という異なるジャンルで創作に取り組む担い手たちが、震災の記憶とどのように向き合い、どのように表現へと昇華してきたのか。そして、表現活動が震災伝承や未来の防災にどのような可能性を持ち得るのか。東北大学災害科学国際研究所の泉貴子教授がファシリテーターを務め、意見が交わされました。
▲(右)東北大学災害科学国際研究所/泉 貴子 教授
震災の経験と作品への反映
泉本日は「【音楽×映画×小説】表現者たちと考える震災伝承」というテーマで、3名の素晴らしい表現者の皆様にお話を伺います。まずは、皆様の現在の活動や作品についてご紹介いただけますでしょうか。
熊谷私は宮城県気仙沼市に生まれ育ち、地元を拠点にシンガーソングライターとして活動しています。ラジオのレギュラー番組を10年以上担当していたこともあり、「ラジオの人」と認識されている方も多いかもしれません。自分のベースはソングライティング(作詞作曲)で、気仙沼で曲を書くことが私にとって一番自然なスタイルですね。
東日本大震災では、サンドウィッチマンさんの番組ロケ中に気仙沼で被災しました。その経験で人生観や価値観が大きく変わり、震災以降は一般的なアーティストの方とは異なる歩み方をしてきたと思います。東北だけでなく、火山災害のあった御嶽山や台風被害を受けた伊豆大島など被災各地との交流や、企業や学校での防災・減災を考える授業などにも多く関わらせていただきました。
2023年には防災士の資格も取得し、何が正しいのか模索しながらも、全身全霊で音楽を届けています。現在は、仙台在住のGAGLEのDJ Mitsu The Beatsさんとアルバムを制作中で、地元気仙沼のこどもたちのために書き下ろした「ジュウニントイロ」という楽曲をリリースしたばかりです。
佐藤私は石巻市の大川地区(旧河北町)出身です。震災当時は中学2年生の終わり、14歳でした。幼い頃から絵や小説、音楽などの表現活動が好きで、それら全てを表現できる映画に惹かれ、いつか大好きな地元・大川で映画を撮りたいと思っていました。
しかし、震災で撮りたかった風景は失われ、当時小学6年生だった妹も大川小学校で津波の犠牲となりました。映画の夢を諦めてもおかしくないタイミングでしたが、どうしても地元で映画を撮りたいという気持ちが消えず、石巻市内の高校を卒業後に日本大学芸術学部映画学科に進学しました。
在学中に制作したフィクション『春をかさねて』とドキュメンタリー『あなたの瞳に話せたら』の2作品では、大川地区の震災や亡くなった方々について描きました。とても繊細な内容だったため、地域の人を傷つける可能性があるかもしれないとも思い、私の中で封印していましたが、映画の存在を知る方々から「見てみたい」という声をいただき、2021年頃から各地での自主上映会という形でその声に応えるようになっていきました。そのうちに私自身もこの映画を人に見てもらうことの価値を感じるようになり、2024年に自主配給で2作を劇場公開しました。東京の映画館を皮切りに、公開館数は全国28カ所まで広がりました。また、昨年は文化庁委託事業の「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」に参加し、そこで製作した短編『スリーピング・スワン』では、震災とは直接関係のない内容ですが、過去の痛みに向き合う若者たちの姿を描いています。
根本私は東北大学文学部に在籍中、仙台市の川内で被災しました。避難所などで支援活動をする中で、沿岸部、特に農家の方々への支援が行き届いていないという声を聞き、ReRoots(リルーツ)というボランティア団体を立ち上げたり、こどもたちの学習支援をしたり、様々な支援活動を行っていました。
そうした活動に注力するあまり、気づけば就職活動の時期を過ぎてしまいまして。今後の人生を考えた際、「13歳のハローワーク」という本にあった「作家は地上最後の職業である(どんな状況でも書ける)」という言葉に背中を押され、小説を書き始めました。 Kindleでの個人出版がきっかけで双葉社からお声をかけていただき、『プロパガンダゲーム』などを出版しました。この作品はSNSと民主主義をテーマにしており、2025年にドラマ化され、12月現在も放送・配信いただいています。また、「謎杜(なぞもり)プロジェクト」として仙台を舞台にした謎解きゲームの制作など、脚本家やゲーム作家としても活動しています。
泉皆様はさまざまな分野でご活躍されていますが、震災の記憶や経験を、現在の創作活動にどのように反映されているのでしょうか。
熊谷あの日からしばらくの間、私は歌うこともピアノを弾くこともできなくなってしまいました。感情すら湧かず、ただ呆然と変わり果てた故郷を見つめることしかできなかったのです。
再び音楽に向き合うきっかけとなったのは、泥かき作業中に地元の方から「あんただからできることがあるだろう」と顔を真っ赤にして叱咤激励されたことでした。そこでハッとしたんですね。その後、避難所で無邪気に遊ぶこどもたちの姿を見て、自然と「僕らの声」という曲が生まれました。この曲には「平成の直中(ただなか)を生きる僕らの声が」という歌詞があります。あえて「平成」という言葉を入れることで、先人たちが多くの苦難を乗り越えてきた歴史の上に、今私たちは立っているのだという想いを込めました。
意識したわけではないのですが、どうしても震災の影が作品に滲み出てしまう時期が10年ほど続きました。震災から10年が経った頃、ふと肩の荷が下りたような感覚になり、今は自然体で向き合えるようになっています。
語り部としても活動しており、地元の現状や私自身の体験を、音楽を交えてお話ししています。様々な被災地でもライブを行ってきました。歌い終わった後に皆さんとお話しすると、涙ながらに自身の体験を語ってくださる方が多くいらっしゃいます。そこは互いの感情を解放し、共感する場であり、私自身も皆さんと痛みを分かち合うことで、前に進む力をいただいてきたように思います。
佐藤私は当時、「被災地のこども」として多くの取材を受ける中で、自分には「被災者」としての価値しかないのではないか、と思い詰めてしまった時期がありました。東北の同世代の子たちと交流する中で、同じ悩みを持つ子がいることを知りました。
震災を扱った作品は多くありますが、大人の目線で描かれたものが中心でした。だからこそ『春をかさねて』では、例えば取材を受ける子とあえて受けない子の間に生まれる軋轢など、報道の裏側で行き詰まってしまった「被災地のこども」のリアルな視点を描きたいと思いました。
新作『スリーピング・スワン』も震災の話ではありませんが、過去の傷に向き合う若者の姿を描いています。大きな歴史や出来事の陰で見過ごされがちな「個人の想い」を、これからもすくい上げていきたいです。
私は、第二次世界大戦末期のローマの話を描いた1945年のイタリア映画『無防備都市』が好きです。戦争を経験していない私でも、登場人物に深く共感してしまいます。映画には時間を超える力がある。だからこそ、私の作品も100年後に残り、もしまた災害が起きた時に「あの日、人々はどう考え、どう生きていたのか」という、生き抜くための手がかりになればと願っています。
根本私はお二人や沿岸部の方々に比べれば当事者ではないという気持ちがあり、だからこそ支援活動に力を入れていました。その中の一つが、仙台に在住する大学生で立ち上げた東北学生メディア「IF I AM」です。被災した地域で支援活動をされている方をゲストに招き、現場の細かな情報を届けるネット番組を配信していました。
しかし、時間が経つにつれて世間の関心が薄れ、視聴者が減っていくのを目の当たりにしました。「大事なことだから聞いてください」と正論を言うだけでは、人は離れていってしまうのです。 そこで、「学生復興会議」という企画を立て、当時極めて重要な政治的課題でもあった「原発」について、賛成・反対に分かれて学生たちで議論する生配信をしたところ、通常配信の数十倍となる視聴者の方にご覧いただきました。
伝えるためには「対立」や「エンターテインメント性」が必要だと痛感したのです。現在、ドラマ版を放送いただいている『プロパガンダゲーム』は、見ている人からしたら震災と関係がない内容に映るかもしれませんが、私の中ではつながっていて、震災時に飛び交ったデマや情報への恐怖、そしてそれに対する「物語」としての反撃という意味が込められています。「面白さ」で人を惹きつけ、本当に伝えたい大事なメッセージを込める。それが私のスタンスです。
「防災・復興・伝承」における文化芸術の力とその役割
泉ご活躍されている分野は、防災や復興、伝承においてどのような役割を果たせるとお考えですか?
熊谷私の曲に『雲の遥か』という、震災前に故郷を想って書いた曲があります。震災後にリリースされたのですが、私の意図とは異なり、多くの方がこの曲を「応援歌」として、また「あの日を忘れないための曲」として受け取ってくださいました。
作り手の意図を超えて、受け手の心に寄り添い、記憶を呼び起こすスイッチになる。それが音楽の不思議な力であり、役割なのだと感じています。
佐藤映画には「記録」としての側面があります。私の映画には、今は亡き地元のあるおばあちゃんの姿や、整備される前の大川地区の風景がそのまま残っています。地元で映画を作りたいという想いから、図らずも伝承の映画になりました。2022年に地元・大川で上映会を行った際、訪れた地域の方々からは「震災前の集まりが戻ってきたようだ」と喜んでいただけました。震災後、大川の人たちが集まる行事は少なくなってしまいましたから。
映画を通して過去を振り返ることは、懐かしむだけでなく、前に進むための「心の復興」にもつながると実感しました。過去の記録でありながら、今を生きる人への活力になるのが映像の力だと思います。
根本小説が直接的に防災に繋がることは少ないかもしれませんが、例えば仙台市内にある「浪分(なみわけ)神社」は過去に起こった津波がそこで止まったことが由来になっていますが、この神社のように、地名に隠された津波の歴史や意味など、震災で学んだことを物語の中で知ることで、結果的に命が救われることはあると思います。
また、支援活動中にある男性から聞いた、とても印象的な話があります。お祭りで神輿を担いでいたこどもたちが、津波から逃げる際に、神輿で練り歩いたルートを通って助かったというのです。彼らは「避難訓練」としてではなく、ただ「楽しいお祭り」としてその道を覚えていた。これが、エンターテインメントが防災に関わる上で一番重要な「順番」だと思うんです。「防災」といった瞬間に耳を塞ぐ人もいますが、「楽しい」と思ってやっていたことが、実は防災になっていた。この形が理想的です。
そして、心のケアという面でも文学は力を発揮します。芥川龍之介が関東大震災の惨状の中で、川で歌いながら泳ぐ少年を見て「初めて救われた気持ちになった」と書き残しています。その記述を読んで「辛い時こそ、エンターテインメントに救われていいんだ」と肯定された気持ちになりました。そうした心の機微を残せるのも、小説の役割ではないでしょうか。
次世代へどう伝えていくか
泉震災を知らない世代や、若い世代に伝承していくために、どのようなアプローチが可能でしょうか。
熊谷AIなどの最新技術も素晴らしいですが、やはり最後は「人から人へ」の語り継ぎが持つリアリティが大切だと思います。作品を通して知っていただくことと同時に、私たちが直接言葉を届けていく活動も、泥臭く続けていきたいです。
佐藤最近、小中学生が主体となって私の映画の上映会を企画してくれることがあります。震災後に生まれたこどもたちが、自分たちで調べて、展示を作り、発信してくれる。私たち経験者が語るだけでなく、それを受け取った若い世代が、彼らなりの感性で新しい表現や作品をつくっていってくれたらうれしいですね。そうした連鎖が、伝承の新しい形になるのではないかと期待しています。経験していないからと尻込みせず、経験者へ取材をしたり、文章にまとめたりするなどを通して、できることはあるのかなと思います。
根本私はこれまで、作品の中で震災を描くこと、さらには「人の死」を描くことを避けてきました。現実にあまりに多くの死があったからです。しかし、「人間が生み出した核の恐怖の象徴」であるゴジラが生まれるまで、終戦から10数年の時が必要だったように、震災から時間が経った今、私もそろそろ正面から震災や災害を描くべき時期に来ていると感じています。
例えば、30年以内の発生確率が高いと言われる災害をシミュレーションした小説を書くことで、未来の被害を減らすことができるかもしれません。恐怖を煽るのではなく、物語の中で「こうすれば助かる」という知識を疑似体験してもらう。それが、未来のために小説家ができることだと考えています。
これからの創作活動と防災・伝承への想い
泉最後に、皆様の活動分野を通じて、防災や伝承をより身近に感じてもらうために大切だと思うこと、そしてこの講座に参加されている市民の皆様へメッセージをお願いします。
熊谷改めて、自分の住む街を知ることが大切だと思います。海はどこにあるのか、山はどうなっているのか。身近な地形を知ることは、防災の第一歩です。私も音楽を通じて、これからも故郷への想いと防災の大切さを伝え続けていきます。
佐藤宮城に所縁のある作家・伊坂幸太郎さんの小説の中の一節にもありますが、「深刻なことを軽やかに伝える」ということを大切にしています。被災地であっても、日常の笑いや恋愛、嫉妬といった普通の生活がありますし、どんなに悲しい時でもお腹は空きます。
そうした「普通」を描くことで、遠く離れた人にも「自分と地続きの出来事」として感じてもらいたい。深刻なだけでなく、こうした温かみのある視点が持てたのは、私が生まれ育った大川の人たちが本当に温かかったからだと思います。その感謝を胸に、またいつか宮城を舞台に映画を撮ることができたら嬉しいです。
根本震災から15年近くが経ち、ここからが「忘却」との戦いです。商業出版されたものはすべて国立国会図書館に収蔵されます。だからこそ、100年後の人が読んでも意味のあるものを書かなければならないと強く感じています。
また、被災沿岸部の状況は、日本の課題が「30年分ぐらい先に来てしまった」と言われています。裏を返せば、今ここで問題を解決できれば、30年後の未来を救えるのではないか。そのために自分が何をできるのかを考えながら、生きていきたいなと思っています。
泉本日はありがとうございました。音楽、映画、小説、それぞれが異なる力を持ち、それらが共存することで伝わるものがあるのだと改めて学びました。過去のつらい経験を未来へつなぐためには、ただ伝えるだけでなく、「楽しさ」などの要素を取り入れ、関心を持ってもらう工夫が重要だという点にも気づかされました。
また、最後に根本さんから「被災地の課題は30年先の日本の課題」というお話がありました。私たちにはその課題が見えているわけですから、見逃さずに皆さんと一緒に考え、解決へと向かっていきたいと思います。 本日は、葛藤を抱えながらも前へ進む皆様から、たくさんの勇気と知恵をいただきました。本当にありがとうございました。

熊谷 育美 氏:シンガーソングライター、宮城県気仙沼市出身。

佐藤 そのみ 氏:映画監督。宮城県石巻市出身。

根本 聡一郎 氏:小説家・脚本家、福島県いわき市出身。