地域の記憶を受け継ぎ、東部沿岸部に新たな
価値を育む
▲(左から)仙台reborn株式会社/アクアイグニス仙台 法人営業部 部長 平間 雅孝さん 蒲生なかの郷愁館 制作・運営チーム/エイチシンプルデザイン 代表/めぐみキッチン 共同代表 小山田 陽さん
「アクアイグニス仙台」は、仙台reborn株式会社の運営の下、若林区藤塚地区に2022年4月に開業し、“治する・食する・育む”をコンセプトに、食・農・温泉を融合させた複合商業施設です。
一方、「蒲生なかの郷愁館」は、宮城野区蒲生なかの地区にある合同会社杜の都バイオマスエナジーがこの地区の「これまで」と「これから」を発信する場として、2024年3月に「杜の都バイオマス発電所」施設内に開設した民間の震災伝承施設です。
藤塚地区も蒲生なかの地区も、東日本大震災による津波で甚大な被害を受け、集団移転跡地となったエリアで、現在は災害危険区域に指定されています。その土地やそこに住んでいた方々への想いに寄り添いながら、再び人々が集える場づくりに取り組んでいます。
今回は、アクアイグニス仙台
法人営業部 部長・平間雅孝さんと、蒲生なかの郷愁館の制作・運営チーム・小山田陽さんで、クロストークを行いました。
商業と伝承、それぞれの立場から地域と歩む施設づくり
プロフィールと運営施設について教えてください。
平間「アクアイグニス仙台」は、藤塚の地に再び人々が集える場をつくりたい―。東日本大震災からの復興へのそんな思いを込めて誕生した複合商業施設です。地下1,000mから湧出する温泉「藤塚の湯」、被災地支援を続ける有名シェフ監修のレストラン、東北の地場産品を扱うマルシェなどがあります。私はその全体の法人営業部 部長として、施設運営はもちろん、地域とのつながりづくりにも力を注いでいます。
小山田私は建築家としてエイチシンプルデザインの代表をしており、せんだい3.11メモリアル交流館や山元町震災遺構中浜小学校、南三陸311メモリアルなど、震災を後世に伝える施設の会場構成やコンテンツ制作に携わり、「蒲生なかの郷愁館」もその一つです。ここは、地域団体「なかの伝承の丘保存会」(以下、保存会)のみなさんと一緒に整備した施設です。
保存会は、蒲生なかの地区(旧中野学校区を構成する旧4町内会:和田、西原、蒲生、港)の住民が震災直後に立ち上げた組織を母体としており、現在は「蒲生なかの郷愁館」の運営を、私が所属する「郷愁館制作・運営チーム」と一緒に担っています。私個人としては、荒浜地区で市民活動「荒浜のめぐみキッチン」の共同代表をしており、当地の農業従事者や映像、音響、作曲家、演劇家、料理研究家など多彩なメンバーとともに、食や文化、地域資源など荒浜の“めぐみ”を楽しみながら体験できる場をつくり、楽しい体験と一緒に震災の経験も伝える活動を行っています。
東部沿岸地域にある施設として取り組んでいることを教えてください。
平間藤塚という地名や、この土地の歴史を守り続けることを大切にしています。東部沿岸地域は震災後、人の住めない災害危険区域に指定され、住民の方々は安全な内陸部へ集団移転しました。本当は離れたくなかった土地を借りているからこそ、この地で、そこに込められた想いをないがしろにする商売は決してしてはいけないと思っています。
そのため、「アクアイグニス仙台」の開業前から藤塚地区の町内会と何度も意見交換を重ねてきました。この土地の名前を残すために、温泉には地名をそのままいただき「藤塚の湯」と名付け、イタリアンレストラン「グリーチネ」はイタリア語で“藤の花”を意味する名を冠しました。さらに、日本酒「藤の雫」は藤塚で収穫したお米と地元の水を使い、町内会長に名付け親になっていただいたものです。
また、施設中央を横切る道路「牛道下(うしみちした)」は、仙台藩時代に塩を牛で運んでいた道と言われ、災害時には地域の方々が集まった場所として、大切に利用してきた生活道路です。安全面の課題はありながらも、この道をあえて残した設計にしています。
「アクアイグニス仙台」はこの地域では異質な存在でしたが、根底として“地域との相談”を行うことで、「マルシェに野菜を置いてほしい」といった声などが増え、自然と地域との交流・協働が広がっています。新しい日常の中に施設を取り入れてもらえるよう、開業前から今も変わらず取り組んでいます。
小山田「蒲生なかの郷愁館」は、震災伝承施設としては珍しい民間運営の施設です。多くの施設が震災当時の様子や復興の過程を中心に紹介していますが、郷愁館では震災展示に加えて、この地域ならではの歴史や環境も学べるようになっています。たとえば「貞山運河」や「仙台港」と共に歩んできた地域の歴史、「蒲生干潟」の豊かな自然環境、そして現在稼働している発電所とエネルギーの取り組みなどです。この地区を通して、私たちが暮らす社会や環境について考えていただくきっかけとなるのが、郷愁館の特徴です。
計画当初は、地域の方々の「思い出を詰める箱」をイメージされていたようですが、この施設に血が通い、息の長い場所にしていくために、小学生を対象とした学習コースにも組み込めるような施設にしました。見学は無料で、予約なしでも可能ですが、団体の場合は事前予約をいただければ保存会のみなさんと一緒に私たち制作・運営チームが案内します。
また、地域と再びつながるきっかけづくりも大切にしています。例えば、2025年度から始めた花壇整備では、元々の住民のみなさんと一緒に作業し、その後にお茶を飲みながら近況を語り合う時間を設けています。現在は別の場所で暮らしていても、こうした時間が「ふるさとにまた足を踏み入れるきっかけ」になると考えています。
東部沿岸地域と関わるようになったきっかけを教えてください。
平間震災当時は東京のホテルで勤務しており、大規模な宴会場で数百名の顧客を集めた感謝の会が終わって事務所で一息ついたところであの揺れを経験しました。
その後、震災を機に宮城県へ移住し、仙台市内のホテルに転職。2021年に仙台reborn株式会社に入社し、アクアイグニス仙台の開業準備に携わりました。施設の管理だけでなく、住民のみなさんとの意見交換はもちろん、施設に出店するテナントの募集にも関わっています。
小山田私は、震災当時は箱根で手がけた建築物がちょうど完成する頃でした。自分の建築設計のスキルを生かし、「仕事を通じて被災地に長期的に関わりたい」という思いから仙台へ移住しました。
「蒲生なかの郷愁館」に携わることになったのは、建設中の「杜の都バイオマス発電所」の中に「地域のためになる部屋をつくりたい」という保存会からの相談を、私がその整備に関わった「せんだい3.11メモリアル交流館」の初代館長を通していただいたことがきっかけです。
それぞれの立場から、この土地で何を伝えたいと考え、どのような想いで活動されているかを教えてください。
平間商業施設としての役割だけでなく、地域の歴史や人々の想いを尊重しながら、まちづくりに貢献することを目指しています。例えば、藤塚地区から北西にある沖野地区の近隣のスーパーが相次いで撤退し、高齢者の“買い物難民”が懸念された際には、マルシェの商品を積んだワゴンで移動販売を開始しました。野菜や加工食品だけでなく、「スポンジがほしい」といった声にも応えて日用品もそろえるなど、今も続けています。
こうした日常的な活動を通じて地域の方々と話す機会が増え、現在は「移転跡地利活用事業者連絡協議会」(以下、協議会)の会長を務めています。その会合で小山田さんのお顔は以前から知っていました。
小山田協議会で、「(被災地への配慮を前提に)被災地であることも、この土地が持つひとつの個性」と平間さんがおっしゃっていたのが印象に残っています。
平間協議会などの場では、防災やまちづくりについて率直な意見も伝えています。「次にもし津波が来たら、次の世代に何を残すのか。どう備えるのか」。例えば、避難の際は原則徒歩避難ですが、近くの避難所である小学校まで歩くと約60分かかってしまいます。こうした具体的な課題こそ、もっと地域で議論されてもいいのではと感じています。もちろん震災伝承館などの施設は大変重要ですが、復興を大事にする人の考えも、私のような目の前の課題に対する視点も、同じ卓上に並べて議論することが必要だと思っています。「アクアイグニス仙台」に携わり、地域の方々と話すほどに、その想いは一層強くなっています。
私にとって「アクアイグニス仙台」の運営は、単なる商業施設の経営ではありません。このエリア全体のまちづくりの一部として、どう地域に溶け込み、どう連携していくのか―。開業当時からその想いは変わっていません。
小山田平間さんのお話には、とても共感できる部分が多いです。これは私個人の感覚ですが、震災後すぐには難しかったことでも、時間が経った今だからできることもあると感じています。私は震災当時、被災せず、みなさんと一緒に震災を乗り越えた経験もなかったこともあり、被災地への配慮から踏み切れないことも少なくなかったと思います。
それでも今は、震災から10年以上を経て、地域や人との距離感や関わり方がずいぶん変わったと感じています。ある被災者の方から「本当はこの土地を離れたくなかったけれど、いろいろな事情を考えて移転を決断した。だからこそ、この故郷が誰かの役に立ってほしい」という言葉をいただいたこともあります。被災地への配慮を持って、その記憶を丁寧に残しつつ、新しい価値も加えていく―。そのために動けることが、今は増えてきていると実感しています。
平間観光業的な視点で見ると、必ず「インバウンド戦略は?」と聞かれます。でも私は、まず海外からのお客様を呼び込む前に、地域の方々との信頼関係や文化の土台をしっかり築くことが大切だと思っています。
例えば、忘れられていた地域の祭りが復活し、地域の方々が「自分たちの誇り」として受け止められるようになったとき、それが文化として根付き、結果的に海外の方々にも共有できる価値になります。
私はここの生まれではありません。だからこそ、地域の方々や宮城県のみなさんを中心に据えて、その上でインバウンドや観光施策を考えるべきだと思っています。
小山田建築物も同じで、下地がしっかりしていなければ、仕上げだけをきれいにしても数年でひびが入ります。短期的な見栄えではなく、長期的な安定を考えることが大切だと私も思います。
平間もちろん、観光客が増えることは商業的には喜ばしいことです。ただ、京都や富士山のように日本人が行きづらくなる状況を見ていると、地元の方々が自分たちの文化や魅力をきちんと経験し、表現できることが何より重要だと感じます。この3年間で、その考えは間違っていなかったと確信しています。
お互いのプロフィールや活動内容を知り、今後、一緒にやってみたいことはありますか?
小山田例えば、沿岸部の方々と直接会って話ができる、修学旅行や研修旅行などの機会を一緒につくれたらうれしいですね。地域の方は、初対面の方には緊張してしまいますが、私たちのような存在が間に入って紹介したり話を引き出したりすることで、参加者と地域の方々がより親密な関係性を築けたらいいですね。
平間「アクアイグニス仙台」を法人向けの研修や交流の場として活用したいと考えていて、今後、小山田さんにぜひ相談したいと思っています。チームビルディングや防災体験など、この施設ならではのプログラムを一緒につくれたらおもしろいですね。
小山田私は「伝えていく」ことに主眼を置いて活動していますが、これを長く続けていくためには、様々な工夫を重ねていくことが大切だと思っています。その中で、これからは観光・商業の力もお借りして「伝えていく」ことも考えていく必要があると感じています。
東部沿岸地域の利活用の先人として、これからこの地域の利活用に関わりたい方へのメッセージはありますか。
平間仙台市が開催する、市内4つのエリア(仙台市中心部、秋保地区、作並・定義地区、東部沿岸地区)の事業者が集まる観光ブランディングの会議に参加した際、他の参加者から「東部沿岸部はディスカッションが活発だ」といわれます。この違いとして、他の地域では、すでに観光地として形が整っており、昔からの関係性もありますが、東部沿岸部はまだこれからつくっていく段階だからだと思います。
だからこそ、「こう思っているけどどう?」と率直に意見を交わし合えるし、「それは違うね」と言える風通しのよさがあります。いち事業者だけで何とかしようと抱え込む必要はなく、「困っている」と相談すれば、直接解決できなくても「それなら誰々さんに聞いてみたら」と自然につないでくれる。この“つながる関係”は、この地域ならではの強みだと思います。
観光地としてはまだ大挙して観光客が訪れる場所ではありませんし、商業施設としては営業上の厳しさもあります。それでも、仲間意識が高く、助け合える関係がここにはあります。これから関わる方にも、その魅力をぜひ感じてほしいです。
小山田被災地だからこその配慮や気遣いは必要ですし、私自身もそれを大切にしています。とはいえ、「被災地のために何かをすること」と「ここで新しいことや楽しいことをすること」は、相反するように見えて実は両立できるものだと思っています。その両立を大事にしながら、この地域に関わってもらえるとうれしいです。
今回のクロストークの感想を教えてください。
平間私は商売というのは利他の精神があってこそ成り立つものだと考えています。特に「アクアイグニス仙台」では、自分たちだけの利益を追求するのではなく、地域とともに発展していくことが必要です。そうした考えを実践していると周りには人が集まりますし、小山田さんもまさにそういう方だと再認識しました。実は、今後の展開について近いうちに相談しようと思っていたので、今回のクロストークはとても良い機会になりました。
小山田以前から平間さんとゆっくりお話ししたいと思っていましたが、協議会ではいつもタイミングが合わず、挨拶程度で終わっていました。協議会での平間さんの発言や取り組みを聞いて「つながれる部分がある」と感じていましたが、今日直接お話しして、その感覚は間違っていなかったと感じました。このような機会をいただき、ありがとうございました。

アクアイグニス仙台

蒲生なかの郷愁館
震災の展示だけではなく、「蒲生なかの地区」の歴史や蒲生干潟の自然、地域の暮らしや風景、持続可能なエネルギーなどを展示しながら、この地区の「これまで」と「これから」を発信している。